12月31日 23時45分〜
 除夜の鐘撞き始め
1月元旦 0:00〜
 修正会法要
1月 2日 10:00〜
 修正会法要
1月 3日 10:00〜
 修正会法要
1月24日 13:00〜
 初不動柴燈
   護摩祈祷法要

平成18年
■あけましておめでとうございます 平成18年1月1日
■「天網(てんもう)」恢恢(かいかい)、疎(そ)にして洩らさず 老子」 平成18年2月6日
■彼岸によせて 平成18年2月27日
■花祭りによせて・・・お釈迦さまの教え 平成18年4月5日
■ふたたび 庚申大祭・大般若経転読法要について 平成18年5月15日
■宗教いろいろ 平成18年6月8日
■『見えざる世界』 平成18年7月5日
■8月そしてお盆 平成18年7月31日
■秋彼岸のはなし 平成18年9月1日
■み仏のおしえ(真言宗) 平成18年10月3日
■十夜法要雑感 平成18年11月1日
■師走をむかえて 平成18年12月5日

平成28年
◆平成28年のよもやま話
平成27年
◆平成27年のよもやま話
平成26年
◆平成26年のよもやま話
平成25年
◆平成25年のよもやま話
平成24年
◆平成24年のよもやま話
平成23年
◆平成23年のよもやま話
平成22年
◆平成22年のよもやま話
平成21年
◆平成21年のよもやま話
平成20年
◆平成20年のよもやま話
平成19年
◆平成19年のよもやま話
平成17年
◆平成17年のよもやま話

■ あけましておめでとうございます。
明けましておめでとうございます。
新年にあたり皆様のご健康とご多幸をお祈り申し上げます。

もう初詣は済まされましたか? 心すがしく御仏や氏神さまに一年のご加護をいただくよう、
お願いいたしましょう。
お正月、これから新たな一年がはじまります。私達の前には無限の可能性が広がっています。

その昔、高名な詩人高村光太郎の詩のなかで、
”僕の前に道はない。僕の後に道はできる”・・・まさにその通りだとおもいます。
人生には決められた道はありません。自分自身で考え、行い、道を創っていくものです。
でも人生って順調なばかりではありません。むしろ苦難続きのイバラの道の方が多いかも
しれません。でも どんなに苦難の多い道であっても、へこたれず正しい道に導いてくれるのが、
「信仰」ではないでしょうか?

私たちは御仏に「健康でありますよう、家内安全でありますよう、お金持ちになれますように・・・」
とかお願いしますが、本当にお願いしなければいけないのは、「苦難にくじけない心」を育てる
ことでしょう。そして何より忘れてならないのは『謙虚な心』を失わないことだと思います。

さて今月末二十九日には恒例の『初不動星供柴燈護摩法要(はつふどうほしくさいとうごま
ほうよう)』をつとめます。私たちの真言宗の「大日如来さま」は、「除闇遍明(じょあんへんみょう
・・・暗黒の世界を取り除き、隈なくすみずみまで明るく照らすの意)と、たとえられるように
太陽のごとく光輝き、慈悲にみちあふれた宇宙の教主であられます。

不動明王さまは、煩悩から離れることのできない衆生をすくうために、大日如来さまが変化
(へんげ)して姿をあらわされた仏さまですが、年々訪れる時間空間の星まわりの災厄を
はらい、みなさんの煩悩を火で浄めて、幸福をあたえてくださる有り難い「ご威徳(ごいとく)」
をおもちです。どうぞ当日には皆さんお参りいただき、お不動さまの「おかげ」をいただいて
くださいね。

合掌

平成18年1月1日

■ 「天網(てんもう)」恢恢(かいかい)、疎(そ)にして洩らさず 老子」
今冬は暖冬続きだった例年と比べ、ひとしお寒さが厳しく身にこたえる思いがします。
しかし今年の初不動柴燈護摩法要の当日(1月29日)は日中とても暖かく良い日和で皆さん
沢山参詣していただき、とても有り難いご祈祷になりました。

ところが柴燈護摩祈祷のご本尊さま不動明王様は、慈悲にたたえて居られるとは言いながら、
外見は背中に火炎を背負い恐ろしげなお姿ですね。
それは衆生が御仏の教えを守り、謙虚な姿勢をわすれずに調和した社会のなかで日々を過ご
せるように、厳しく戒め導いてくださるお姿だからです。
社会生活の中には一人の人間として当然守らなければいけないルールがあります。それを道徳
ともいい、また仏教では「戒律(かいりつ)」と称しています。

皆様「十善戒(じゅうぜんかい)」は少しはお耳にされた方もいらっしゃるでしょう。
不殺生(ふせっしょう)、不偸盗(ふちゅうとう)、 不邪淫(ふじゃいん)、不妄語(ふもうご)、
不綺語(ふきご)、不悪口(ふあっく)、 不両舌(ふりょうぜつ)、不慳貪(ふけんどん)、不瞋恚
ふしんに)、不邪見(ふじゃけん)・・・人間として当然ですよねえ。でもやはり守るのは難しい。
常に念頭において怠らず、反省して前向きに生きようではありませんか。

冒頭に掲げた「天網恢恢、疎にして洩らさず」は中国古代の有名な思想家「老子」の有名な
言葉です。「天網」は天の裁き、「恢恢」とは大きいという意味です。
天の網はこの上なく大きく、網目こそ粗いが何一つ取り損ねることはない!!
との意味だそうです。

今世の中を騒がせているライブドア事件、耐震強度偽装事件の関係者が有名になるには優れ
た資質を備えた人々に違いありません。しかし法律に触れなければ、表沙汰にならなければ、
多少のルール破りは構わない?との傲慢な考えが「天の網」に触れたのではないでしょうか?
「天の網」とは仏の教え、戒律、人として生きるための当然のルールに通じるのではないで
しょうか?十善戒は人間として当然守らなければならないルールです。
これから心して十善戒を守り日々を過ごしてまいりましょう。


※十善戒
不殺生(ふせっしょう)…人間や外の生き物を殺さない。
不偸盗(ふちゅうとう)…人のものを盗まない。欲しがらない。
不邪淫(ふじゃいん)…不倫をしない。
不妄語(ふもうご)…人をだます言葉を口にしない。
不綺語(ふきご)…お上手を言って人を迷わさない。
不悪口(ふあっく)…人の悪口をいわない。
不両舌(ふりょうぜつ)…二枚舌を使って、仲たがいをさせない。
不慳貪(ふけんどん)…物惜しみをせず、人に布施をしよう。
不瞋恚(ふしんに)…怒りの心を持たない。
不邪見(ふじゃけん)…よこしまな心を持たず、物事を公平にみる。

合掌

平成18年2月6日

■ 彼岸によせて
暖かさのよみがえった日差しと共に春のお彼岸が近づいてまいりました。
彼岸に寄せて高名な詩人であった故サトウハチローの一篇の詩をご紹介しましょう。

「雑司が谷の墓地」
 母がいる 姉がいる
 妹がいる 弟がいる 雑司が谷の墓地

 でかい けやき 大きいかしの木
 カラスをみる むくどりをみる 風をみる 雑司が谷の墓地

 弟と泣き 妹と笑い
 姉と歌い 母を呼ぶ 雑司が谷の墓地

皆様も墓参をなさると同じ感じに打たれるでしょう。
「母がいる」「姉がいる」の「いる」は母の、姉のたましいがそこに「いる」と言うことです。
母や姉だけでなく「みほとけ」がいらっしゃり、そして「自分」がいるのです。
母や姉の祈り、みほとけの願いがあるから現在の自分が生きさせて戴いているのです。
「お彼岸」は煩悩に満ちたこの岸からみ仏の慈愛のあふれる調和のとれた世界にいたる・・・
との意味ですが、この「雑司が谷の墓地」はまさに「彼岸の世界」への出会いの場所で
あったに違いありません。

仏はいつ、 どこにでもいらっしゃる。仏は人に背を向けることはく、いつ、 どこ、誰にでも
面と向かって対座していらっしゃる・・・のです。みほとけに支えられて、ご先祖さま達も
私たちを見守っていらっしゃいます。苦しい時、悲しい時、行き詰まった時、深いまなざしで
見守っていらっしゃることに気付きましょう。

仏や故人に見られていると言うことは、時には恐ろしくも感じますが、同時に安心感となり、
励ましを与えて下さるものです。それを感じとるのを「彼岸のこころ」と申します。

合掌

平成18年2月27日

■ 花祭りによせて・・・お釈迦さまの教え
四月に入りお花見の季節となりましたが、まだまだ花冷えの数日が続いています。
歳月が過ぎていくのは本当にまたたく間で、花祭りの行事(お釈迦さまの生誕祭)が近づいて
まいりました。花祭りによせて、「お釈迦さまの教え」についてちょっとお話してみたいと思います。

釈迦如来の悟りの究極は「涅槃(ねはん)に至る」という事だそうですが、「涅槃」は欲望が
ふっと吹き消えた状態・境地にたとえられ、転じて「お釈迦さまの命がふっと消えた・・・」
亡くなられた事を「涅槃に入る」とも申します。
欲望を消し去って、物事をあるがままにみることが出来る状態を「悟り」と称しますが、その
境地に至るために、若き日の釈迦如来はすべてをなげうって出家に至りました。

「出家とは行きながら死ぬること・・・出家していなければ私はきっと死んでいた。」

著名な作家で天台宗の尼僧の瀬戸内寂聴さんの述懐ですが、たぐいまれな才能をもったひと
の半生の重荷を感じさせる一言です。お釈迦さまにすがり、尼僧としての修行を続けて「よく整
えられた自分」を取り戻すことができたのでしょうね。

お釈迦さまは自分の出生と共に生母を失う・・・と言う生まれながらの苦しみを背負って誕生
されました。現世に生きる人々の苦悩をいかに救うか?出家して苦行して何年も追い求め
ました。
しかし優れた資質に恵まれ、天界からの篤いご加護もあったお釈迦さまは、ついに悟りに至
られました。前世からの菩薩であったお釈迦さまのことですもの・・・
きっと宇宙の運行、時空の成り立ち、天地気象、生物の盛衰・・・全て見通せたことでしょう!
そのなかで人間がどのように生きていけるか?お互い助け合って生きなければいけないのに、
人々は煩悩をかかえて、苦しむ!悲しむ!争う!
人々を救うために「縁起の法」を説かれたそうですが、私は余り説明ができないので割愛します。

ご自分の弟子には「生きるための戒律を守り、よく自分を整えよ!」在家の信者には苦しみ
を良く聞き取り、「苦しみ悲しみは何処でも、誰にもめぐってくるんだよ!」と諭し、また
どうしようもない自分の悪行に苦しんでいる人を仏弟子として救い続けました。

煩悩を消し去る!!!いかに困難なことか・・・今の私には到底無理なことですが、お寺に
訪ねてくださる皆様に笑顔を持って帰っていただけるよう、奉仕することが、「自分の修行」
と考えて、毎日を過ごしています。

合掌

平成18年4月5日

■ ふたたび 庚申大祭・大般若経転読法要について
立夏を過ぎると、一気に夏の気配が濃くなってまいりました。
つい数日前は、何だか薄ら寒くて、でもおかげでいつも直ぐ散ってしまう牡丹の花が長く見ご
ろでいてくれたのが、有り難いことでした。花祭り髪納め法要の当日(5月5日)はとてもお天気
が素晴らしく、新仏さまの遺髪供養のために沢山の方がお参りしてくださいました。

これまでは季節の移り変わりも比較的なだらかに推移してきましたが、急激な気温の落差は、
余り体によくありませんね。私はちょっとブルーな日々を過ごしています。とは言いながら、
一日一日はあっという間に通り過ぎて、庚申さまのご縁日が巡ってまいります。

庚申さまのおはなしは、この「よもやまばなし」でも割合ご説明をしておりますが、
「六十日に一度巡ってくる庚申(かのえさる)の夜に人間の邪心や悪事を体内に宿っている虫
が天帝(寿命をつかさどる)に告げ口をする・・・人間は天罰として寿命が縮まったり、不調なで
きごとがおこる」とされています。
庚申さまのご本尊であられる「青面金剛童子さま」は、煩悩に苦しむ人間たちを憐れんだ薬師
如来・釈迦如来・阿弥陀如来のお使いとしてつかわされ、告げ口をする三尸(さんし)の虫や
悪人を喰い殺し、善人を助けるといういわれがあります。また異形のお姿に現れているように、
絶大なパワーを持っておられ、一心なご祈願をかなえてくださる・・・とのことです。
手足をくくられた「ごへいさる」は煩悩を封じる姿、御幣には祈願の趣旨をお書きくださるといい
ですよ!

また「大般若経六百巻転読法要」は降魔(こうま)の法要とも言われ、玄奘三蔵訳の「大般若
波羅蜜多経(だいはんにゃはらみたきょう)」六百巻を読誦し、社会の平安と私たちの諸願の
成就やあわせて家庭の幸福を祈願する法要です。転読とは、般若の智恵を説いている六百
巻もあるお経をパラパラとめくるように早く読むことで、この時の教本をめくる風にあたって
煩悩のほこりをはらい、身体を丈夫にするといわれます。また祈願をこめた除災招福の御
祈祷札は、玄関の柱にはり一年のご加護を得ることができます。

ではこの場合の降魔の法要は何を意味するのでしょうか?
『魔』は???、私にも余りはっきりとはわかりませんが、世界で起きている戦争、民族紛争、
核兵器・ミサイル製造、テロ、天災(地震・風水害・砂漠化)・拉致・・・日本では?とりわけ
退化していく自然や社会道徳・公害・薬害・貧富の格差・交通災害・自殺・理由のない殺人・
あおりたてるジャーナリズム、エトセトラ・・・
この社会不安を取り除くのは、どうしたらいいのでしょうか?
自分の心にも「邪心」という「魔」をそだてています。

すこしでも変化していくのには・・・
みほとけ(宇宙)にはぐくまれている自分を忘れないように!
他者にやさしく感謝の気持ちを大切に!
でもそれだけでは駄目なのでしょうねぇ・・・。

横田早紀恵さんは立派ですねぇ。
あのような凛とした生き方が出来れば!
つくづく無力な自分を感じてしまいます。

皆さん頑張りましょう!!!

合掌

平成18年5月15日

■ 宗教いろいろ
六月に入り垣根の紫陽花が色濃く咲きそろう頃となりました。
先日は庚申大祭・大般若転読法要にお参りいただいて、有り難うございました。
お渡ししました庚申尊のお札は心弱き私たちの邪心を退治したり、降りかかる災難の厄除けや
病魔退散に役立って下さるお守りとなってくださいます。皆さん大般若経をめくる風にあたって
くださいましたか?大般若経の風は、心も体もさわやかに保つ力を与えてくださるとされていま
す。お加持をうけた皆さんは加持師の僧正さまのお言葉を胸に留め、一年間大過なく過ごせる
よう精進してくださいね。

さて このたびは、いつもと少し違うことをお話したいとおもいます。
現在の世界は宗教紛争とも言える紛争が多発しています。それも収拾できそうもない、血で血
をあらうような・・・それに大国の利害や民族問題もからんで、どうしようもない気の毒な状態で
す。そんなことを考えたら、日本は申し訳ないほど平和?ですね。

宗教は大別すれば一神教(キリスト教・ユダヤ教・イスラム教など)と多神教(仏教・ヒンズー
教・日本の神道)に区別することができますが、一般的にみれば多神教より一神教の勢力が
強いですね。
でもどうなのでしょう?一神教は攻撃的ですね。世界でただお一人の神をあがめるわけです
から、極端にいえば他の神は許せない!ましてエルサレムはキリスト教・ユダヤ教・イスラ
ム教の聖地がほとんど隣接しているのだから、それはそれは大変なことだと思います。でも
元々は旧約聖書にしるされている兄弟のような宗教だから、仏教的に考えたら皆でお参りで
きる聖地を目指すべきではないでしょうか?

旧約聖書(ユダヤ教)が話題に出ましたが、“旧約”また新約聖書(キリスト教)の“新約”は
神と人間の約束事・契約で成り立っています。神は自分をあがめ従うものたちを加護し、
裏切った者には復讐をあたえます。「汝 そむくなかれ!」又自分を信ずる者をしばしば試
します。神の子と讃えられたキリストにも受難を与えました。キリスト教は愛の宗教ともい
われますが、「最後の審判」という、厳しい一面も持ち合わせています。

これに対して「仏教」は「自覚宗教」と言われていますが、どうして?とおもわれませんか。
「山川草木悉皆成仏(さんせんそうもくしっかいじょうぶつ)」の言葉は以前に「よもやまばな
し」のなかでご紹介したことがあると思いますが、「この世の生きとし生けるもの全てがみ仏
(宇宙)の子である」との言葉のように、み仏は人間を含めたあらゆる生き物全てに「慈悲」
をかけておられます。人間が、自分たちはみ仏(宇宙)に抱かれ、みほとけの恵みを受けて
はぐくまれている!」と自覚した時、はじめて「仏教徒」となれるのだそうです。

仏教は約2400年以前にお釈迦さまが「人間の苦しみをいかに救うか?」を命題に教えをと
かれ、 各時代の祖師様がお釈迦さまのことばとして、時代に必要とした教えをとかれまし
た。弘法大師空海さまが唐の国から伝えられた真言宗の教えは日本の風土に適合し、
しっかりと根付いたおしえです。お大師様は、同行二人(どうぎょうににん)の教えのように、
苦しむ人々の背中をさすり、勇気をあたえてともに歩んでくださる菩薩さまでいらっしゃいま
す。

合掌

平成18年6月8日

■ 『見えざる世界』
 7月に入りお施餓鬼の行事が近づいてまいりました。今日は施餓鬼会にちなんだ、私の心に
浮かんだお話をしたい!と、思います。

 私は毎朝山門を開け、正面におまつりしている不動明王さま・稚児大師さま・築山ごしに茶の
寿観音さまに朝のお勤めをいたします。朝の空気は何と清々しいことでしょう。
 それでもその一角の空間もその日その日の天候により微妙に受ける感じがちがっています。
岩の上にすくっとお立ちのお不動さまの上の空には柔らかな色の青空が広がり、松やかえでの
緑とぽっかりと浮かんだ白雲が美しく、私の心も幸せに満たされます。また雨が降り続く日は
どんよりと・・・、私もそそくさと、礼拝をすませてお寺に入ってしまいます。

 ただ仏さまにお経をさし上げている時に、ふっと真っ暗な宇宙の空間に今足を置いて立って
いる地球が運行し、太陽に照らされているイメージが沸いてくることがあります。そして現在
わたしが立っているのは、拠りどころは地球の引力なんだ・・・と、大地の有り難さを感じます。
又十年を過ごしてしまった阪神大震災のことを思い出し、大地が揺れる、割れる恐怖を今更な
がら感じてしまいます。
 私たちが生きている地球の大地が次々崩れていったらどうなるでしょう。また大気が薄くなっ
たり、汚れたり、私たちを柔らかに包んでくれている水蒸気やなにより大事な『水』、またふっ
と宇宙の法則が崩れて地球が軌道を外れてしまったら、大切は太陽の「光」を浴びることがで
きなくなるかもしれません。おそらく私たち人類を含めた地球上のあらゆる生き物が、絶滅の
危機に出会うことになるでしょう。私たちの「いのち」は宇宙の法則の幸運な出会いの時間に育
まれて、成り立っているのではないでしょうか?

 私たちは「当然!」と普段感じている『心地よさ』を自分の力で得たように考えているのではあ
りませんか?「心地よさ」を感じさせてくださる『空間』があることを忘れているのではありませ
んか?

 この『空間』=『見えざる世界』は色々なエネルギーに満ち満ちていることでしょう!
真言宗の曼荼羅は目にみえるもの・みえないものを私たちに理解できるように図解したものです。
曼荼羅中央には大日如来さま、私たちには見えないけれど、私たちにパワーを与え、また願いに
よって千変万化して救いを与えてくださる仏さまたち、あるいは私たちにマイナスを与えるエネルギー
もあるのです。私たちは色々な『見えざるもの』と出会い、お付き合いしなければなりません。
『出会い』は都合よき出会いも、悪しき出会いも『佳き出会い』にすれば、皆で心安らぎ、幸せを
感じることができることでしょう。

 施餓鬼会は各家のご先祖さまの供養とともに、心満たされず苦しんでいる諸精霊を供養する
大事な法要です。供養を受けた精霊は喜びに満たされ、皆様のご家庭に功徳をあたえてくださ
います。
私たちはいつも見えている世界にばかり心とらわれていますが、『見えざる世界』の「ありがたさ」
にも感謝の心を持ち、謙虚にいきることも、とても大切な生き方だとおもいます。
お塔婆をあげ供養することはご先祖さまへの感謝とともに自分たちが元気で過ごしていることを
お知らせする大切なお便りです。 お施餓鬼を機械にご先祖さまにお便りをだし、ともに喜んでい
ただきましょう。

合掌

平成18年7月5日

■ 8月そしてお盆
梅雨明けの知らせと共に猛烈な暑さがやってまいりました。
皆様お変わりなくお過ごしですか?

どなたが詠った句なのか・・・「8月や 6月9日(むいかここのか)15日」6日は広島に、
9日は長崎に原爆が落ちた日、そして15日は終戦記念日を指しています。遠い昔のことの
ように感じるかもしれませんが、人類が忘れてはならない日。特に日本人は、この句だけ
でも語り伝えて、覚えておいて欲しいですね。

日本人は過去に戦争をしていました。そして世界には未だに戦争状態の国があります。
7月早々北朝鮮が日本海にミサイルを発射しました。今はレバノンがイスラエルとイスラ
ム勢力の争いの場となり、一般の人々が犠牲となって多くのいのちが失われています。
人間は、どうしてこんなに争わなければ、ならないのでしょうか?8月を迎えるに当たり、
日本人は、自主性を忘れず、他国への侵略行為・戦争行為の反省をし、戦争で命を落と
された人々への鎮魂の気持ちを大切にいたしましょう。

そして『お盆』−−−−、今年もまもなく「お盆」ですね。もともとお盆は、亡くなった親を
思う心から始まった行事です。お釈迦さまの十大弟子の一人で目連という方は、お弟子の
中でも神通第一と言われていますが、大変な母親思いで、ある時亡くなった母親を神通力
で探すと、母親が餓鬼道に落ちて苦しんでいるのを見つけました。それを救おうとお釈迦
さまに相談すると、7月15日の雨季の修行明けの日に供養をしなさいと言われたので、そ
の日に大勢のお坊さまに施し物をして母親の供養をした。それがお盆のはじまりと言われ
ています。

円満寺では入りの日が13日で明けの日が15日とさせて戴いています。大体前の日の12
日にはお墓の掃除を済ませ、お仏壇をきれいに掃除をし、お位牌も拭いて花を取り替え、
「精霊だな」をつくります。昔は竹を四方にめぐらしたりして手の込んだものをつくりま
したが、今ではお仏壇の前に小さい机を置いて白い布をかけ、そこに「まこも」を敷いて
お供物などをいつもより多く供えるというようになってきました。茄子で牛を作り胡瓜で
馬をつくってお供えするといいですね。

13日は提灯をもってお墓参りをし、そのときお墓でローソクに火をつけて、その火を提灯
にうつして消えないように持ち帰り、家の精霊棚にその灯をうつします。これで灯と一緒
にご先祖の霊をお迎えしたことになるのです。また夜に帰ってくるかもわからない仏様の
ために、13日の夕方には門口でオガラをたいて、あなたの家はここですよと教えてお迎え
しますが、それが迎え火です。

15日の夕方は送り火といって、ご先祖さま・仏さまをおくる日です。この時は精霊棚のロ
ーソクの火を提灯にうつして、消さないようにお墓まで持って行き、お墓参りをしてから
灯をけします。ご先祖の霊を再び霊の世界に送り返す、という気持ちから始まったのが送
り火の行事です。

円満寺の万灯供養法要は、さきに逝かれたなき人々やご先祖さまへの感謝のまことを捧げ、
御本尊様の掲げる灯で、見えざる世界で一年を過ごされるご先祖さまを導く大切な行事で
す。お盆はこのように生と死を分けた世界を心でつむぎあう事ができる大切な数日です。
細やかな心配りで迎えたいものですね。

合掌

平成18年7月31日

■『秋彼岸のはなし』
 9月に入りましたが、残暑なお覚めやらぬ今日この頃でございます。
今年の夏は本当に暑かったですね。地球温暖化のせいでしょうか?
日本で体温より気温が高いなんて、これまで余り無かったことなのに、
これからは毎年日常化しそうな勢いですね。

 さて夏の名残はあるものの、秋彼岸の季節を迎えようとしています。
『お盆』と『お彼岸』はどう違うのでしょうか? 私は円満寺で生まれ育った者ですが、
お寺からは檀家さんのお家にお参りし、また檀家の皆様が八十八ヶ所やお墓にお参りに
来られる・・・、若い頃は忙しさに紛れて、漠然とした知識しか持ち合わせていませんでした。

 『お盆』と『お正月』はあの世からご先祖さまが「お里帰り」される日々、私たちは心を
清め、お家をきよめ、床の間やお仏壇を清め、ご先祖さまが安らぎ喜んでくださるよう
お仕えしなければなりません。

 そして『秋彼岸』・・・お彼岸は「お墓参り」に代表される行事です。「国民の祝日に関
する法律」では、秋分の日(秋彼岸の中日)は「祖先をうやまい、亡き人を偲ぶ」とある
ように、現在と一線を画したところに居ますご先祖さまに、こちらから感謝の気持ちでご
挨拶を申しあげる行事です。家族皆でお寺詣りをし、お墓参りをして、元気な姿でご先祖
さまの御霊(みたま)にお出会いし、喜んでいただきましょう。

 また『彼岸』は一年の季節を分ける一日、夜昼が同じ時間・・・釈迦如来の「中道を歩
む」という教えに通じる一日となっています。
 「人々は多いが、彼岸(かなたの岸)に達する人は少ない。他の多くの人は此方の岸
の上でさまよっている」(中村元・訳)という『法句経』の一節にあるように、お釈迦さまが
好んで用いられたたとえで、『彼岸』とは悟りの世界、「此岸(しがん)は煩悩の世界をあ
らわします。言うまでもなく仏教は悟り、つまり人格の完成を目指しますが、その大いな
る願いのもと、心を養い向上していった先に、本当の安らぎ『涅槃(ねはん)』があること
を説いています。

 そして此岸(しがん)と彼岸の間にあるもの、つまり理想を目指す時の障害は、「むさぼ
り」「怒り」「愚かさ」という三つの拭いがたい煩悩です、誰のものではない、自分自身の
心の中にこの煩悩があること自覚しなくてはなりません。
 それらを乗り越えて彼岸に至るために、布施(ふせ・ほどこす)、持戒(じかい・つつしむ)
忍辱(にんにく・我慢する)、精進(しょうじん・励む)、禅定(ぜんじょう・心を慎める)、
智慧(ちえ・本当の知恵をみがく)という、六つの実践(六波羅蜜・ろくはらみつ)を
勧めています。

 ですから「お彼岸」は、先祖(死者)のためばかりでなく、今この世に生けるもの自身の
修行のための期間なのです。太陽が真東から真西へ沈み、昼夜を等分する、最も平均的
な時期に自らをふりかえり、崇高な理想、正しい願いを持って、六波羅蜜の実践を心がけ
たいものです。

合掌

平成18年9月1日

■み仏のおしえ(真言宗)
 十月に入り朝夕冷気が身に沁みる頃になりました。
日中は暑いなぁと感じても、空気が乾いていて本当に爽やかですね。爽やかな風にそよぐ黄金
色の稲穂を見ていると、つくづく幸せな満ち足りた瞬間をすごしているとかんじます。
その瞬間が私たちの目指す「お浄土【彼岸の世界】」ではないでしょうか?

 お経の話をしてくださる僧正さまによると、お浄土は常に暖かい日差しに充ち、爽やかな
風が吹き渡り、空には飛天が妙なる音楽を奏でたり、花園には繚乱と花がさきみだれている
そうです。御仏たちの集っておられる宮殿は優れたお姿の菩薩たちが行き交い宝珠のついた
髪飾りや装身具、半月や満月の形をした宝石などが、いとも美しく飾られています。

 浄土の蓮の花弁のなかにちいさな菩薩様が座ってお互いに合掌しておられる姿も見受け
られ、また宮殿の中央のしとねに大日如来さまがお座りになり、周囲には無数の仏たちが教
えを聞くために集っておりました。御仏たちは全て大日如来の御子であり、お使者の役目を
はたして働いておられます。この宇宙がつねに平らかで栄えますように、大地が実りある大
地でありますように、太陽の恵みも程よく、雨風も適度に・・・この世の生き物(人間も)
よく育ちますように、御仏たちはそれぞれのお慈悲で、祈りを込めて守ってくださっていま
す。

 そして私たち人間も宇宙【御仏の世界】の曼荼羅の一員、御仏の命をいただいて存在して
いるのです。大日如来は「除暗遍明(じょあんへんみょう)」と例えられるように、闇を取
り除き常に光みちみちた存在でありますが、つねに宇宙は変化し滞まっていることはありま
せん。
 宇宙の生々流転にしたがって、地球上の大自然も気象現象も影響を受け、生きとし生ける
ものも繁殖と淘汰を繰り返しているのではないでしょうか。
 いろいろな事に影響を受ける度に私たちは悲喜こもごも・・・大騒ぎを繰り返しますが、
広い眼で見渡せば、それが宇宙の法則(み仏の法)、私たちも宇宙から「命」を授かった
「みほとけの子」そのように思い定め、

幸運なときは慎ましやかに!逆境にあるときは雄々しく!
命を授かったことに感謝して生きていこうではありませんか!!!

「理趣経」に説かれている大日如来さまの教えは「生きとし生けるもの全て仏の子」、
赤ちゃんで生まれてくる時はだれでも清らかな魂、透明なまなざしを持って誕生します。
仏教の教えですっかり悪者扱いの貪瞋痴(とんじんち)の煩悩も人間が生きていくための、
大切な生命力の現われではないでしょうか? でも煩悩が強すぎたら自分をコントロール
できず、周囲にも波紋を広げ迷惑をかけてしまいます。自分の欲望を中和して、バランス感
覚を大切に生きていくことが「菩薩さまに近づく道」と、説かれているとおもいます。

 今月は私の感じている「御仏のおしえ」をとりとめもない言葉にしてしまいましたが、意
図するところを受け取ってくださいね。私ももっと精進して皆様に『仏心』をご理解戴きた
いと思います。どうぞ皆様と共に歩めますように・・・。

合掌

平成18年10月3日

■十夜法要雑感
 十一月を迎えここ播磨の地も紅葉の季節を迎えようとしています。
それにしても日中は暑いですね。でもとても爽やかで心地いいです。
このような気候がずっと続いて欲しいなあと思いますが、秋が深まっているのに、果たして
こんなお天気で大丈夫?でしょうか。

 私は地球の温暖化が気になって仕方がないです。オゾンホールが大きくなって人間に有
害な放射線がいっぱい降ってくる・・・海の水面が上昇してオセアニアの島国が水没の危険
にさらされる・・・日本だって島国だから危ないですよ〜。

 それに北朝鮮の核実験、標的にされそうな日本はどうすればよいでしょうか?拉致されて
北朝鮮にいる横田めぐみさんたちは無事にいらっしゃるでしょうか。日本人としてどのように
生きたら良いのか、自分の利害をこえて考える必要がありますね。

 さて例年のごとく十夜法要が近づいてまいりました。
「極楽はいつも月夜に十夜かな」との俳句にあるように、もともとは、はるかな極楽浄土に
いらっしゃる阿弥陀如来さまを十日十夜の間念じ、み仏の慈悲の光に抱かれてご先祖さ
まを偲んで邪心を戒め、善行を行えるよう修行に勤める行事でした。
 真言宗では弘法大師空海さまが師僧であられる惠果阿闍梨さまの追善供養のため五日
間三座の報恩謝徳法要を行ったのがはじまりとされています。
 円満寺の十夜法要は、豊かな秋の収穫物を本尊さまやご先祖さまにお供えし、お塔婆供
養で、ご先祖さまに感謝のまことをささげ、あわせて五穀豊穣や家内安全を祈願する行事
です。

 みなさま 御仏の思し召しとご先祖さまのおかげで人としての命を授かり、現在の自分
があることを忘れてはなりません。自分の欲望を追求し、気に入らなければ、直ぐに殺人
に結びつく世の中ですが、とくに何の罪もない子供を虐待し死に至らしめたり、生徒たち
が教師や仲間のいじめに会うなどは、許しがたいことだと思います。
 一人ひとりが自分を省みて、良いこと悪いことの判断をして、許しがたいことへ立ち向
かう勇気を持とうではありませんか。

 ところで話題が変わりますが、久しぶりにお四国八十八ヶ所まいりにいってきました。
円満寺檀信徒有志一行です。第一番霊山寺(りょうぜんじ)から第七番十楽寺(じゅうら
くじ)の七か寺のお参りでしたが、久しぶりにお遍路となってお寺の本尊さまやお大師様
にお出会いするのは、とても感動でした。吹く風に日差しにお大師さまの気配をかんじら
れますよ!みなさま今度はご一緒しませんか?

合掌

平成18年11月1日

■師走をむかえて
紅葉が散りしきるようになり、愈々師走がめぐってまいりました。
暦上では真冬の厳しさや年末の慌しさ、そこはかとない物悲しさを覚える頃なのですが、晩秋
の気配が色濃く残り、一ヵ月後に新春を迎える感覚にはまだまだ至りませんね。

過去の日本は春夏秋冬の四季の移り変わりがくっきりとあり、衣替えやそれぞれの季節にちな
んだお節句、床の間のお軸の架け替えやお道具の入れ替え・・・色々の美しい行事が数多くあ
りました。また季節の移ろいにつれて、咲く花々を愛でる心・如何に暑さ寒さを心地よく過ごすか
・・・、日本人は肌理(きめ)細やかな心配りや、優しさを持ち合わせていたように感じられます。

ただいま「美しい国日本」というキャッチフレーズの政策が実施されようとしていますが、あくまで
もバランスのとれた折り目正しい礼節の日本人でありますように、導いていって欲しいものですね。

扨あと一ヶ月過ごせば、お正月ですね。
お寺では、お正月のことを「修正会(しゅしょうえ)と申します。
古くは平安時代に「薬師法悔過(やくしほうけか)」と称して、お正月の法要が行われたと伝えら
れています。こういう名称には、それぞれの由来や意味があることなのでしょうが、普通に解釈
すれば、「修正」とは、まちがいや不足を正し、ゆがんだものを直すことであり、「悔過」は過ちを
悔いることであります。
つまり、お正月は「正(ただ)す月」であって、日常の暮らしを省みて間違ったことを正し、過ちを
慙愧して自らを養う機会であると心得られてきたのです。

私達は、何か嬉しいことがあると「盆と正月が一度に来た。」などと賑やかしいことの代名詞に例
えますが、お盆の七月十五日は衆僧自恣(しゅうそうじし)の日といって、お釈迦さまのお弟子達
の懺悔の日でありました。お盆もお正月も仏教では厳粛な懺悔の法を修行する尊い日々であり
ます。

現在の日本の社会は見せかけの好景気の波から取り残されたワーキングプアの存在に代表
されるように、持つ者と持たざる者との格差が広がり社会不安の一因となっています。
勿論国の手篤い保護が施されなければなりません。
しかしながら、豊かな人々が傲慢な心を持ち周囲への感謝を怠ったり、また社会福祉や行政
を悪用している人々が常に現れるのは憂うべきことですね。

『順境に驕らず、逆境に怯まず・・・』という言葉がありますが、お正月を間近にして私たちは御仏
や周囲から受けるご恩やご縁を大切に、常に自分の生き方を修正する勇気を持って毎日をすご
してまいりましょう。

来年も皆様方がお健やかにお幸せでありますように。

合掌

平成18年12月5日